人生はチョイスと如何に覚悟をして生きる事です。

決断の時が来ました。

35年前に一つの決断をしなくてはなりませんでした。このままおとなしく言われたままこの会社に働き続けるか、独立して起業するかの選択をしなくてはならない様になりました。

同列会社に又、人事の発令がありました。12年前この会社の本社勤務から、3つの子会社を立上げてそれなりの会社になりました。3つとも資本金を出してもらいましたが、後は全て手探り状態から始めました。

3つ目の会社は銀座にショールーム、本社を作り、ゼロからスタートして、6年目で50億の売り上げを達成しました。営業のトップで営業本部長になり、上司は副社長だけで、社長は実質的にはほとんど関係なく親会社の経営者でしたので、報告だけでしていましたので、ほとんどは副社長と二人で全て経営していました。

そしてこの副社長も腹のある人で、ほとんどの権限を私にくれましたので、全面的に私の思うようにさせて頂きました。

これは本当にありがたい事でした。私の性格は人に命令されるより自分で、全て企画して実行して、具体的に実績を挙げることができました。

アメリカの毛皮と高級宝石の製造販売会社でしたので、アメリカに仕入れに行き、香港に毛皮を私達のオリジナルのデザインの製造する会社との交渉、製造委託、そして出来上がりのチェック、輸入をしました。一着が高い毛皮のコートなので、時には月3回もチェックに行きました。

最初の頃は小売りをメインに売りましたが、これでは埒が明かないと思い、卸売業にチェンジしました。

そして日本全国に営業に行き、めぼしい企業と契約して、最初は本当に大変でしたが、ある時、北海度の札幌にある、宝石の有本と言う無店舗販売で年商30億以上売り上げてる会社とタッグを組み販売しました。家庭に訪問する多くの営業する人がいましたので、強いつながりがありました。

その会社の販売方法が素晴らしく、高級ホテルで、宝石、毛皮を展示して、ファションショー、ディナーショーを開催して、一挙に売り上げ達していました。これを少しアレンジすれば他の会社にも使えると思い全国展開しました。

1年目は1億円もいかなく、2年目でやっと2億円でした。そして3年目でターグニンポンイントになり、札幌の宝石の有本とタッグを組んでから、このノウハウで一気に拡大していきました。3年目は6億円の売り上げになり、4年目で12億円5年目で28億、そして6年目で50億円の売り上げを達成しました。

この頃は宝石や毛皮、また高級品には、物品税がかかり、約13.5パーセントを支払いました。私達の会社の、このエリアには三越本店や高島屋、そして誰もが憧れた銀座和光がありましたが、わずか6年でそれらの会社を上回る売り上げて、物品税も一番多く支払いましたので、税務署もびっくりしていました。

始めは本社の社長もあまり口出ししませんでしたが、4年目くらいから少し口出しし始めて、6年目はかなりうるさく言う様になりました。

しかしながら、この様な販売の仕方は何時までも続かないと、現場を知る私は次の一手を仕掛けるようにあれこれ、企画して、プレゼンしましたが、あまり反応がないので、少し具体的に副社長と進める様にしたところ、待ったがかかり、それだけでなく副社長をアメリカに人事、私を大阪のある会社の責任者として人事をすると、発令があったのでこの時に、人生のチョイスする時になりました。

当時、会社の社宅に住んでいましたので、会社を辞めるとなると住まいも全て変わる事になります。

この時には2人の子供がいて、幼稚園や人のつながりも出来初めていたので、思い悩みましたが、この様に頑張って会社に貢献しても、トップの考え一つで自分の人生が大きく変わる事に、たえれませんでした。

いよいよ決断の時が来ました。

それで、独立して起業の道を選びました。幸い住まいもちかくにいい所がありましたので、そのマンションを購入する事ができました。

起業して、しばらくは家で始めましたが、そのうちに態様出来なくなり原宿にマンションを借り、有限会社を立上げ売り上げも徐々に多くなりました。

前の会社の引継ぎの為一度その会社の責任者が来ましたが、おかげで売り上げがもっとあがり、60億円の売り上げを超えたと言って自慢げに言っていましたが、その5年後にその会社はなくなりました。

儲かっている時には、次に事を考える事が出来る状況なのに、次の手を打たないでいる経営者は、現場の声を聴かないからです。

現場はお客様の声を毎日聞いているのでその情報は宝の山ですが、現場の声を無視することは、お客様を無視すると同じことなのですが、現場を離れた経営者はそれがわからず、ニーズのあっていないことを平気で進めるので、会社が悪くなるのは当たり前のことです。

独立、起業する時覚悟をしました。家族を養うためには少々の理不尽事も我慢し、今まで以上努力して、当分は自分の物はしばらく購入せず、倹約をすることにしました。

独立する時、ほとんど目先は見えなく、厳しい状況が続きますが、覚悟を決めていましたので、それ程怖くはありませんでした。

それより、もっと怖いのは自分を押し殺してまで、現状に固執することです。自分がなくなるように思うことです。

自分を大切にすることは、人に対しても同じ様に人を大切にすることです。自己中は本当の意味で自分を大切にしていないことです。

ですから、覚悟した時から、色んな試練が来ますが、乗り越える事ができます。独立してから、はや35年以上すぎました。68歳になった今も大きな試練が来ますが、必ず乗り越えれると自分を信じて今も毎日忙しく働いています。

それに自分の後継者育成をしています。今日もビックサイトに一緒に行って来ました。若い世代の感覚とアナログ世代の私と一緒に新しい仕事を生み出そうとしています。

起業はいつも楽しいですよ!自分の世界が作りだせるのですから、体は疲れますが、心は生き生きしています。

覚悟をしたら、前に進むしか有りません。覚悟しなくてもいろんなことが起きてきます。だったら覚悟して自分から進んでいく方が道が開けれるでしょ。一度しかない人生です。幸せに暮らしたいですね!

起業のお手伝いをします。シニアスタートアップのマッキーに気軽にお問い合わせください。勿論若い人も大歓迎です。

masakitsuchie9990@gmail.com

起業して直ぐに成果を出せるためにはどの様にすればいいのでしょうか。

先ずは自分の持っているスキルや経験、出来る事の棚卸から始めてください

やはり、今から参入しょうと思っている事業、物に市場が有るかをよく知らなければなりません。それに時代の流れも見極めることも大切な事です。

成功している人は皆努力家で鬼の様に働いている人です。

努力は必要です。成功している人は間違いなく、鬼の様に働き、努力を続けています。しかし同じ努力もマーケットの大きい方が大きな成果を出せますが、その世界は競争も激しいです。

逆に小さな市場は競争相手が少なくなり割と早く上位に立てることが出来ますが、大きな流れに乗っている人には勝てません。

やはり、適切に市場を読み、其の市場に向かって適切価格で、人の求めている物をキッチリと把握し提供するなら、早い段階で資金が入って来ます。

自分が仕掛けた物が市場に受けいられる事のよろこびは、本当に嬉しく思います。そしてその対価として多くの収入が入って来ます。

これが起業して、独立し鬼の様に働き、苦労も多かったが苦労が報われる時なのです。これは社員の頃、販売目標を達成した時よりも、何倍も嬉しく思います。

今の時代、小さな資金でも色んな事業立ち上げる事が出来ます。資金調達も色々出来る時代となっています。

昔なら金融機関とほんの少し知り合いに、資本金を出してもらう事しか有りませんでしたが、いまはクラウドファンディングやエンジェル投資家、投資専門会社など、小さくても面白い企画があれば資金調達がしやすい環境になりつつ有ります。

行動力のある人が成功している人です。

ですから、なるべく早く成功の道にいくならば、貴方の思い、情熱を具体的に行動してください。そして失敗しても諦めないなら、必ず勝利の女神は貴方に微笑んでくれます。

ただ、人はそれぞれ生き方、価値観、全員一人一人皆違うので、どの世界がいいかは一概に言えません。成功している人になるためには時間もお金も必要です。

成功している人は時間もお金も自由に出来る人です。

ですから、成功している人とは、幸せな人生を送ることが出来ている人と言っても過言ではありません。

勿論、お金は有った方が豊かに生きることが出来ます。私も初めての給料20歳で18000円で年収30万円くらいからスタートしました。随分昔なので貨幣価値が全然違うので今とは当てはまりませんが、毎日の生活がギリギリでキビシイかった事を今もハッキリと覚えています。

そして、マックスの時は1億の年収がありました。30年前の話です。この時期は自分の会社「主に宝石と毛皮の仕事」と、原宿に本社がある小さなコート製造販売会社に営業力を提供して、事業部を作りました。完全な売上歩合制で小売り店の卸売り専門の専門店事業部でした。卸売りの20パーセントを手数料としてもらいました。

そして、2年目で4億円の売り上げを達成しました。これに自分の会社の利益を合わせると1億の利益がありました。毎日毎日大手の小売りチエーン店のバイヤーにアポイントを取り、品物を見せに全国を走り回りました。そのおかげで大手のチエーン店にもいくつか開拓出来て、売り上げがドンドン上がっていきました。

一時は製造が間に合わないくらい、売れましたので製造している担当者から、少しペースを落としてくれと言われました。

この時代、バブル景気で日本全体が高級品がドンドン売れていましたので、市場も大きく10万円から~100万円するコートも今の安いコートと同じように売れました。

もし、今同じよう事をしても高いコートなど見向きもされません。時代の流れや市場の移り変わりは年々早くなっています。

多くの収入が入ると、世間が変わって来ます。銀行なども家まで小切手や手形の集金に来たり、銀行に行くと支店長自らカウンターから奥の部屋に案内して、今日は何のためにと要件聞き、現金を少しおろしに来ましたと言ったら、担当者が来て、お茶を飲みながらほとんどの手続きをしてくれました。

自動車会社の担当者もよく来たり、一流と言われたレスランや一貫何千円のお寿司屋さんにも行っておなじみになって特別な料理を出してくれました。

少しはいい気持ちになりましたが、なぜか、ちょと違うかな~と感じた事もありました。そこで、やはり仕事をもう少し自分のしたい事にシフトしょうとしていきました。

矢張り、資金が多く有りますと、自分の夢の実現に近くなることは事実ですので、夢の実現には資金がかかります。

ですから、最初はスキルを高める事に特化して頑張ります。次に自分のスキルを高く買ってくれる会社とコラボします。

そして、できる限り早く自己資金を貯めるのです。その資金で出来る事を探して、実行していきます。そして上記に書いた事につながります。

成功している人は多くいますので、貴方もその仲間入りしてください。その為には思いを強く、そして行動してください。

起業の相談してください。シニアの起業はスタートアップのマッキーに気軽にお問い合わせください。

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なぜ転職したいのですか?それとも起業しますか?

自分の人生の目的、目標を持つと仕事の取り込み方が大きく変わって行きます。

いやいや働く3年間と喜んで仕事をする3年間では大きな差が出来ます。一度決めたから、生活が有るから我慢して仕事をすると最低限の仕事をしますが、本当の意味のスキルは身に付く事が少ないです。

外から見た会社と内に入ってみたら、思い描いた会社とは大違いの事が多いのです。それは当たり前のことです。サービスの良い旅館やホテルに、お客様の立場でいけば気持ちいいもてなしで感激しますが、それを維持するためにはバックヤードでは掃除からベットメイキングも皺ひとつもない様に気使いしています。働く人は大変な仕事をしています。

知人に若い娘さんがいます。英語も出来、フランスにも3年以上行って帰国しました。そして日本の誇る帝国ホテルにフロントとして入社しました。私もいい所に入りましたねと喜びましたが、2年くらいで辞めました。フロントでも時間が長く、休みも上手く取れなかったと言っていました。

娘の友人にディズニーランドが大好きでしたので、年間パスポートを買って良く娘と一緒に行っていましたので、大学を卒業してディズニーランドに就職しましたが、1年くらいでやめました。夢の国はハードな仕事によって保てるのです。やはりお客様になって行くのと、働く場所になると大違いと言っていました。

ネットのビジネスの世界でも、中小企業のネットの会社では、上部の人は良い収入を得ている人がいますが、一番底辺で働いている人は長時間労働でその割にあまり収入がよく有りません。働いている時間で貰う給料を割れば最低賃金を割る所もあります。

知人の息子さんや、私の息子もそれでその業界を辞めました。しかしながら私のアニメのDVD制作を手伝って貰った若い女の子は、あえて低賃金でも覚悟してアニメ制作の業界に入ったのです。

やはり好きな事を出来るので、長時間労働でしかも安い賃金でも、スキルアップの為頑張っています。

どの様な業界、仕事でもある程度使えるようになるためには3年間ぐらいは必要です。しかし昔と違って、選ぶ事をしなかったら、仕事はいくらでも有ります。どうせなら好きな事を仕事に出来るならこれ程幸せな事は有りません。

起業するために頑張っている若者がいます

将来起業する為、敢えてきつい業界に行って資本金を貯める若者もいます。宅配業で20歳代で年収500万くらいもらってる若者が3人ほど知っています。

一人はもうすぐ20歳で、宅配便の下請け業者になって一日150個以上の宅配して、朝から夜遅くまで頑張っています。もう一人は22歳で宅配便の本社員になっている家庭を持っている人がいますが、子供が生まれるので先にマンションを購入して頑張っています。

もう一人は28歳起業するために少しずつ動き始めています。私の勧めるFCビジネスの企業に一緒に行ったり、ビックサイト展示会にも行きます。彼の視点を少しずつ変えて行って、今迄は一消費者から売る事の出来るものを探したり、自分がイメージを具体的に商品として、出来る様に観点の変え方に指導し、一緒に動き初めています。

20~22歳でも年収500万くらいは貰えるので、将来の為お金を貯めて具体的に目標を設定する様に指導して、自己資金を最低でも500万円くらいは貯めてくださいと言っています。

20歳~30歳くらいの若者の仕事をする姿勢によって全然違います。同じきつい業界でも何の目標、目的を持たない若者は不平不満が多く周りからも、あいつは使えないと言われています。

かたや、20歳でも目標を持って働いている人は、他から引っ張りが有ります。同じ仕事をするなら喜んで出来る仕事を見いだしてください。

合わない仕事は苦痛の方が多かったですが、どこでも飛び込める営業力は身に付きました。

私も21歳から2年くらい物売りで一軒、一軒飛び込む全然合わない営業の仕事をしていましたが、こんな事は何時までもすることではないと思っていたところ、知人から引っ張りが有りましたので転職する事が出来ました。ただ今までの仕事でどの様な所でも飛び込み営業が出来るスキルだけは身に付きました。

同じ営業でしたが、企画からできる広告業界の企画営業でしたので、頑張る事が出来ました。この時から勉強できる機会が有り、高い専門誌などもドンドン会社で買ってもらいましたので、良い期間になりました。

高校からデザインの専門学校に行きました。そして就職しましたが、合わない仕事でしたので勉強する事ができませんでしたが、今度の会社では勉強出来る環境が有りましたので給料をもらいながらスキルアップが出来ました。下手な大学より実践しながら勉強するので、身に付く事が多かったです。

この広告業界の仕事で企画したり、考えたり、時には空想の世界を思描いたりできたので本当に若い時の貴重な経験と勉強する事が出来ました。

この様にどこでも飛び込める営業力と、企画して新しい事柄や世界を知ることが出来たのも2つの会社のおかげです。

そしてこのスキルを持って、次に活かせる仕事を見いだすことができる様になったので同じ業界の転職?起業するが出来ました。前の会社の資本金の応援はありましたが、今度は何の基盤もなく初めから会社を起こす仲間と起業しました。広告代理店の始まりです。

こうして段々と自分の描いた人生を少しずつ実現する階段を登っていきます。自発的に何でも出来る環境を作る事が大切です。

そして、この広告代理店で4年過ぎると、今度はそのスキルを持って次の段階に行きました。今度はフランスのアクセサリーのメーカーを作る事に受持しました。

この時もどこでも飛び込める営業力が物を言いました。大手のデパートのバイヤーにドンドンアポイントを取って商談して、1階のアクセサリー売り場に置けるように開拓できました。

商品力とファション雑誌にドンドンアクセサリーを貸し出してモデルの写真を載せてもらいました。これは広告業界の時のパブリシティ広告でほとんどお金を使わずにできましたので、これらの雑誌を持って営業に使いました。広告界にいたおかげでこの様な事もできました。

そのおかげで全国の有名デパートにはほとんど入ることが出来ました。アクセサリー売り場はGケースと言って180センチのガラス張りのカウンターを貸し出してくれます。販売するのはこちらの社員が販売します。

一ヶ月ワンケースで200万~400万円くらいの売り上げをしますので、良く支店長が見に来ました。ある程度大きなデパートに出店すると今度はデパート側から、出店依頼がありました。この様にゼロから始めて4年で40か所ちかくのデパートのアクセサリー売り場に入りましたので10億円の売上高になりました。

この様にどんな職業でも、スキルは無駄になりません。そしてそのあと段階を経てから、完全に独立して、起業する時が来ました。

ですから、出来る事なら、なるべく自分の好きな事を仕事に出来れば、これ程いい事はありません。頑張っていい仕事を見つける為には転職もいいと思いますし、無ければ起業することも出来ますので最後は貴方のチョイスです。

人生は一度しか有りませんので貴方が一番輝く事が出来る、仕事を見つけてください。

起業するお手伝いをします。シニアスタートアップのマッキーに気軽にお問い合わせください。

masakitsuchie9990@gmail.com