1億円の自己資金の調達

孫正義さんは20代前半で1億円の資金を作りました。

ソフトバンクの創業者、孫正義さんは大学時代から事業に挑戦して、20代前半で自動翻訳機で1億円の資金を作ってアメリカに行ってソフトウェア開発の会社を創業して、それから今日に至る大企業を作りました。

クラウドファンディングで電動バイクの資金1億2800万円を作りました。鳴海貞造さんです。

最近ではクラウドファンディングと言う資金集めできる手段があり、一般の人が直接投資する資金集めが出来ます。ファイントレーディングジャパンの鳴海貞造さんが電動バイクを作る為に300万円を募集したところ、わずか3時間で集まりました。

2ヶ月半で1億2800万円集まりクラウドファンディングでは、日本でトップの資金を確保出来ました。

今日の大企業はネットのビジネス抜きにはでは考えられないほど、先駆けた人達は大成功の道を歩いています。

普通の私が1億円の資金を作る事が出来ました

では私達アナログ世代で小さな成功ですが、どの様に1億の資金を作ったのでしょうか!私が1億円の資金を作った方法を書きます。

私が33歳の時独立し、起業しました。それから12年~13年かかって1億円の資金を作る事が出来ました。

賃貸マンションから脱却して、銀行のローンを借りて自分のマンションを買いました

孫正義さんの様に頭も良くなく、普通の私が1億円の資金を作れたのは、まず自分の住むマンションを買いました。

そのマンションは築30年くらい経って、私鉄の西武新宿線の下落合駅から2~3分の借地権のマンションでしたので、安く買えました。価格は1800万円で3DKのマンションです。

そして、この時独立したばかりで、宝石と毛皮の仕事をしたり、健康食品を作って販売しましたが、サラリーマン時代とあまり変わらない年収でしたのであまり貯金は出来ませんでした。

ある時健康食品を売りに行った、前からの付き合いしていた社長さんから、自分の知っている会社の社長さんがいい商品持っていて、営業を拡大する為に売ってくれる人を探していると言って紹介してくれました。

自分の得意な企画営業が出来る環境を作る事が出来ました。

早速連絡し、原宿にある小さな会社でしたが、社長さんに会って商品を見てこれは売れると確信して、コート会社とのコラボして専門店を中心に販売する事業部を作りました。

この会社は今までデパート中心に営業していたので、一番抜けていた市場に向かいました。コートもライナーコートと言ってコートの裏に毛皮が付いてるので単価は148000円が安い商品で30~50万円が普通のコートで高いものになると1着100万円のコートもあるので、単価は非常に高いものです。

自分で売り物、商品、資金がない場合は他人の良いものを探し、見つけてくださいそしてその仲間になる事です。

完全歩合制なので、事務所に商品を管理する場所や、商品を搬入する車、営業経費、人件費全て自分持ちですが、売れると確信がありましたので、全国を飛び回って商品を紹介しました。

徐々に専門店を拡大し、日本全国に専門店を持っているチエーン店に営業出来、商品を搬入し販売出来ました。又、フランスベットの販売部門ともコラボできたり、兼松豪商などの大手の会社にも納入し販売しました。

コラボしてから半年間くらいは持ち出しでしたが、徐々に売り上げが上がり始めて、いよいよ冬のシーズンに近ずくほど、売り上げがドンドン上がり始めました。

最初の頃は売り上げが数百万くらいでしたが、シーズンになると数千万円の売り上げになりました。

契約ではバーゲンセール除いて20パーセントの売り上げ歩合がありましたので、数百万の時は数十万円の販売手数料でしたが、数千万円の売り上げになると数百万の販売手数料が入って来ました。

数十万手数料の時は事務所、車の駐車場、その他で約100万円ぐらいの経費が必要ですので赤字でしたが、数百万の販売手数料が入れば多くの利益が出てきました。11月、12月には1かっ月5000万円の売り上げになり、販売手数料が1000万円を超えました。

又、個人でいいお客様を持っていましたので、そのお客様に宝石と毛皮を販売して2千万以上の収益がありました。

この様になると毎月100万円以上の貯蓄をする様になりました。多い時は500万円の貯蓄した時があり、銀行の担当者がびっくりする様になり、銀行に行くと担当者は持ちろん支店長自ら接客してくれました。

こうして、着実に自己資金を増やしながら、今度は東京近辺の横浜に環境の良い所に住むためにマンションを買いました。ちょどバブルが始まって東京の真ん中の土地建物はバブル経済で手が出ませんが、まだ横浜の方では少しずつ上がり始めていた時ですので、ギリギリ間に合いました。

価格は2980万円で見に行って直ぐに買う契約しました。その日私の後に2人の人が内覧して購入希望者がいたそうですが、ちょと差で私の物件になりました。

そして必要にならないので、新宿下落合のマンションを売る事にしました。少しだけリフォーム工事をして100万円くらい使いましたが、もう東京はバブルの真っただ中で売り出すとたった1日で買い手がつきました。

借地権の30年たったマンションが4800万円で売れました。1800万円買って100万円リフォームしましたが、3000万近くの利益がでました。銀行のローンが少し残っていましたが、2000万円近くは手元に残り貯蓄がウナギ登りに上がり,貯まっていきました。

もうこの時5000万円以上の貯蓄があり、年収も5000万円以上ありましたので、見る見るうちに貯蓄が増えてきます。

目標額が1億円の資金を貯めて最終的に自分のしたい事業があるので、生活もあまり派手になりませんでした。次の事業も自己資金が多いので金融機関も貸し出しがスムーズでした。

先ずは日銭で食べ物は毎日食べるので飲食業をすることにしました。ちょうど肉の自由化になった時なので、比較的これからは肉が安くなると踏んで、テキサスと言うステーキハウスを経営する事にしました。

神田小川町の地下鉄駅の出口の前の飲食業をするにはいい所でした。20坪で権利金やフランチャイズビジネスの資金、店舗のインテリアデザイン、設計、施工、全てで3000万円を少しオーバーしました。

収支は良くもなく、悪くもなく、1年で手を引きました。自己資金を半分出していたのでテキサス本社に神田小川町店を販売しました。2800万円くらいで売れましたので、1年間の給与を取っていたので、儲けも損もなく、ステーキハウスの経営を辞めました。

次は前からやりたかった、プチホテルの経営です。ステーキハウスを経営したので、それを活かして、ステーキをメインにしたレストランがあるプチホテルなので、当時ペンションのブームでしたので比較的にホテルの割には安く泊まれるのでお客様がいつも一杯来ました。

全室バストイレ付きでジャクージもある山中湖では設備が一番いいプチホテルですので、シーズンには予約を断る方が多いプチホテルでした。

使った資金は全部で1億と少しオーバ―しました。360坪の敷地に建て物が100坪で部屋数は8室定員は24名です。金融機関から5000万円借りて、後の5000万円と少しの資金は自己資金を使いました。

プチホテルやペンション経営はオーナーがそこに生活しなくてはならないので、一夏は自分と奥さんとアルバイトを使って出来ましたが、宝石と毛皮の仕事がおろそかになるので、人に任せる事にしました。

月30万円で年360万円、利回りは3.6パーセントです。5000万円の返済も30万円でしたので、貸しとけば借入金が減るので良いと思いしばらくは任せました。

それから、数年後そのプチホテルが山中湖で一番流行っている宿泊施設になっているので借り主さんがこのプチホテルを売って欲しいと言って来ました。

それで、9500万円で売る事にしました。その頃は5000万円の返済も3000万円くらいになっているので、プチホテルを売った残金は6500万円の自己資金になりました。

これ以外にも預貯金がありましたので、1億円の資金貯蓄が見えてきました。1億円の資金の達成するために次は何をすることになるでしょうか!

次のブログで1億円の資金集めを完成する事になります。

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