第二の起業も宝石と毛皮の仕事をスキルアップしました。

バブルの真っただ中、同じ業界「宝石と毛皮」の2回目起業も株式会社ジョエルとなずけてスタートしました

再び元店長が宝石業界の勉強とお客様を獲得する事でめどが出来たので、一緒に宝石と毛皮の仕事をすることになりました。

横浜の閑静な住宅街にショールームを開設して、宝石,高級時計など、卸、小売りをしました。

元店長に今まで獲得した顧客と新規のお客様を獲得する為に、色んな提案し商品を委託販売する事になりました。

雇用契約でなく、完全独立の自営業者として、して欲しいとの彼の思いを大切にしたからです。

宝石商は色んなスタイルで起業できます。

宝石業界には独特の販売する人達がいます。その人達は店舗を持たずに、カバン一つで商売する人で、資金が少ない人達にとってはとても便利な方法です。信用力を付けるのも大変ですが、経費が少なく済むので宝石商としてスタートするにはいい方法です。

私も彼に1000万円以上の宝石をいつも信用で委託していました。

元店長も銀座の会社で顧客確保できたので、まずまずのスタートをしました。中には数百万の時計の引き合いがよくあり、売り上げに貢献していました。

宝石業界では折り返しと言う言葉がありますが、意味は売り値の50パーセント、半分で卸すという意味なので、100万の売値だと50万円で卸す価格の事です

勿論、値引きも有りますので50パーセントの利益取れませんが、2~3割の収益が有りますので、一月300万の売り上げがあれば、100万円くらいの利益は取れます。

いい顧客を持てば年収は2~3000万円はそれ程むつかいしく有りません。

経費1~2割を差し引いても70~80万円の給料として使えるので、良い顧客を10人ぐらい持つと年収は1000万~2000万円はそれ程むつかいしくありませんでした。

私も卸売りしながらも、良い顧客を持っていましたので、時々遠くに日帰りで宝石販売する事もよく有ります。

朝、カバン一つで売りに行く宝石を持って行きました。地方でも良いお客様がいますので、ご馳走してくれます。そして宝石を売って帰るとカバンには100万円札束が幾つも入っています。

多い時は10束くらい持って帰る時も時々有ります。この時は嬉しいのと、次に何を持っていくかと考えながら気持ちを引き締めて帰ります。

宝石業界より不動産業界はバブルの最先端でまさしく泡のように膨らんで行きます。

しかし、バブルの時は3000万円以上の年収を稼いでいた私でも大したことないと言う知人がいました。不動産業界で荒稼ぎしている人で、とても友人にはなれません。勿論、不動産会社を経営していても堅実経営をしている人もいますが、ほとんど不動産会社を経営している人はおかしくなっていました。

なぜなら新宿区で知り合いの2~3の不動産会社はわずか、20坪~30坪の土地でも転がしと言ったり、きゃちボールと言って一つの物件に行ったり来たりして、全く間に値が上がり1週間で数千万抜いたと言って自慢話をします。

ある時、私の知り合いに家を紹介しました。郊外なので6700万の物件でしたが、直ぐに売れたので銀座に飲みに行くと誘われて行きました。

10万円くらいのボトルを開けて大騒ぎです。その日も100万円は使ったと思います。私はあまりお酒が好きではないのでしら~としていたら、下品ですがホステスさんにお酒を飲み干すように言って、飲み終えると1万円を胸の服にいれるのです。

ホステスさんも喜んでドンドンお酒を飲むので1万札が何枚も入り嬉しそうでした。この様なバカな事が続かないと思って、少しは資産を分散した方がいいよと言いましたが、誰も聞く耳を持ちません。

日本の全土の土地でアメリカの全土の土地を2つも買えると言った時がありました。

バブルの頃の土地の価格は本当に泡のように膨らんでいきました。日本全土の狭い土地でアメリカの全土の土地を2つも買えると言われました。

ハワイのホノルルの海辺のホテルの半分以上が日本人が買っていました。アメリカ合衆国のニューヨークで毎年クリスマスツリーの点灯式をする、ロックフェラーのビルまで買ってアメリカ国民からブーイングをされました。

今では世界中を中国人が不動産を買いあさっていますが、日本のバブルの時も一緒でした。

中国バブル経済も何時までもつか分かりませんが、私達も健全なしごとを持つように頑張らないといけませんね。

起業のお手伝いをいたします。シニアスタートアップのマッキーに気軽にお問い合わせください。

masakitsuchie9990@gmail.com

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