
新しい業界にチャレンジしました。
金沢の高級ブランドのお店の手伝いが終わり、しばらくは今まで宝石と毛皮の仕事をしながら、イタリアの素敵なデザインのジュエリーを見つけて、直輸入して卸売り、小売りしながら、何か新しい事業をしょうと思い、あれこれ考えていました。
ちょうどもうすぐ、牛肉の自由化になると、騒がれていた時、テキサスのステーキハウスが伸びていて、サラリーマンから支持されていると情報が入り、フランチャイズの募集が始まったばかりで面白いと思い、早速九段下のテキサスのステーキハウスにランチを食べに行きました。
昼はサラリーマンでいっぱいで少し待ちましたが、直ぐに席に案内されたので、ランチのステーキを注文しました。およそ10分くらいで鉄板の上に大きなステーキがじゅうじゅうと焼きながら、出てきました。
その頃のレストランでは、ほとんどのお店はステーキやハンバーグは皿にのせて提供してランチでもステーキになると、1200円以上でしたので、なかなかランチでは食べれない価格でした。
テキサスのステーキハウスの提供する、じゅうじゅうと焼けてくる音が美味しそうに感じました。
ステーキハウスを経営する事にしました。
キャベツのサラダに味噌汁、ご飯がついて850円はその頃は驚きの値段でした。肉も鉄板いっぱいに広がり、大きく見せていましたので、お得感が有ります、食べたら、アツアツなので、美味しく感じ、これは流行るなと思い、ちょうど肉の自由化と流れが来ていると、思いフランチャイズのステーキレストラン経営をすることにしました。
神田小川町の地下鉄の駅前に20坪の店舗が見つかり、フランチャイズ契約と店舗契約をしました。30席で4人で回すステーキレストランです。
3000万円をちょと超えた資金をかけてオープンします。店長は友人を引っ張り経営をすることにしました。
オープン初日開店前に50名のお客様が並びました。その日はランチだけで200食がうれました。忙しいのでその日は1日店のお手伝いをしました。
ステーキハウスの売上はそれなりに順調でしたが、バブルの真っただなかで人材がなかなか定着しなくて大変でした。ノウハウを学びこれから戦力になると思ったら辞める人がいるので、落ち着いて経営することができません。
ひと月の売り上げは400万円~500万円ぐらいで、粗利益60パーセントくらいあり、純利益は30万~40万円くらいありましたが、投資額と仕事量に比べるとあまりいい投資と思いませんでしたので、1年は何とか経営しましたが、金銭的には利益が出ていましたが、私の本業に差しさわりが出てきたので、ステーキハウスレストランを売る事にしました。
ちょうど、昭和から平成に変わるころでした。まさしくバブル経済の真っ只中で不動産業界や株取り引会社は恐ろしいほど好景気です。ステーキハウスはパットしなかったですが、飲食業のノウハウは少しわかりました。
気分転換にアメリカの西海岸とハワイにいきました。
ステーキハウスを売ってから店長とアメリカ西海岸とハワイにご苦労さん会で行きました。最初はロサンゼルスで3泊して、色んなお店に行き、ユニバーサルスタジオも行きました。そしてサンディエゴに行き、お隣の国のメキシコに行き、テワナーと言う町で楽しみました。
次にサンフランシスコに行きお決まりのケーブルカーに乗って海辺のレストランに行ったしました。そして最後にハワイに行って3泊して気分一新で帰ってきました。10日間で一人50万円の旅でした。
そして帰ってから二人で話し合い、矢張り一番のノウハウがある、宝石と毛皮の仕事をもっとメインすることにして、元店長はお客様を作るために、宝石業界をもっと知るために銀座で有名な会社に入社することになりました。しばらくはお互いに連絡とり合って宝石と毛皮の会社を作る為の期間となりました。
そして、元店長が入社してからのバブルの話がありました。それは次のブログで紹介します。
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