今、ミニバブルは不動産業界で起きていますが、では本当のバブルとはどの様な世界だったのでしょうか?

日本のバブルの頃はどの様な世界を見たのでしょうか?

今から30年以上前、1980年代から1990年代位を言います。日本国中好景気にわいていた時、今では考えられない事が起きていました。

一番の原因は金融機関が不動産購入には無制限にお金が貸し出しした事から始まりました。例えば新宿区の少し駅から離れた所でメイン道路でなくて、20坪くらいの土地でも2億3億円は当たり前のことでした。たった1週間でわずか20坪の土地で1億円稼いでいることなどほんの序の口でした。

友人関係に不動産会社や、土地ブローカーなどの事も、後でもっと詳しい話を起業してからの事を後で書きます。先ずは…….

私も30歳になり、サラリーマン時代の終盤にかかっていて、この数年後に起業しました。サラリーマン時代から、起業して色んな経験をしました。私の目で見た、感じた事、そして私もその波に乗って事業主として進んで行きました。

サラリーマン時代の終盤にバブルが始まりました。新宿区の下落合駅から数分で行ける社宅に住んでいたので新聞に不動産のチラシがよく入っていましたので、その情報をよく見ていました。

そして、先ずは港区、中央区などから土地の高騰が始まり、そのうちに渋谷区、世田谷区など、みるみる内に一軒家の価格が上がりだしたのを見ながら、じりじりとしていました。しばらくしたら今度はマンションが上がり初めていて、これは大変だと感じながらも今のままではどうしょもありません。

ちょうど、宝石と毛皮の輸入、製造販売の仕事をしていました。会社では実質的にはナンバー2の位置で、営業本部長の位置で、ほとんど私に権限をくれましたので、企画から、戦略的ことから、仕入れの事もほとんどタッチしていました。

部下は200名くらいで、各部長、課長などに会議と指令をしていました。本社はショールームを兼ねて、銀座6丁目にありました。

会社のお付き合いでローレスロイスのシルバーシャドウを買いそれを私が乗る事になりました。会社のイメージアップの為いつもショールームの前に置きました。

宝石と毛皮の仕事は何の基盤も無い所から始めました。本社は中堅の商事会社で毛皮を輸入出来ても販売する基盤がなく、ただ銀座のショールームと最初の商品を作る為の資金を出しただけで、後は自達で全てしなくてはならないでした。

本当に手探り状態が続きました。初めはよーいドンで3人の営業がいました。私もただの一営業マンで始めましたが、他の2人の営業マンは小売りをメインに動いていました。

本当に毎日、毎月が苦戦の連続で、最初の1年目の売り上げは1億円の売り上げがいくか、行かないかの実績でした。

このままでいけないと思い卸売りをする事に決めて自分は、コラボ出来る会社を見つける事に専念しました。

高級品なので、買い取りはまずできないと思い、営業販売出来る会社にアタックしました。

札幌の無店舗販売で宝石の販売している会社がありました。

そして、札幌にある宝石の有本と言う会社にアポイントメントして、社長と交渉出来ました。持っていった商品はアメリカ直輸入品で高級品ばかりでしたので、とても気に入ってもらい、直ぐに取引が出来るようになりました。

この会社は無店舗販売で外販出来る営業マンが30人以上いました。年間の売り上げも30億円以上あり、北海道でも一番の宝石販売の企業です。

家庭訪問で売る事はあまりせずに、展示販売に力を入れています。高級ホテルの一番大きいホールを借りて、宝石、毛皮、高級時計など展示して販売します。

毎月必ず、1回は開催して、大きな売り上げをします。展示販売の時商品は周りにぐるっと展示して、真ん中にダイニングテーブルセットを置いて、お客様を接待します。

営業マンはお客様を椅子に座るとお客様の好みの飲み物のオーダーをします。ワイン、シャンパン、ビールと飲みながら接待し、いよいよファションショーがフルコース料理食べながら始まります。

モデルが毛皮と宝石を見せながら歩いて来ます。素敵な音楽に合わせながらナレーションーが入ります。

毛皮のコートロシアンセイブルロングコート、8000万、ダイヤモンドのネックレス5000万、ダイヤとサファイヤの指輪、7000万、合わせて2億円の宝石と毛皮です。

この様なファッションショーが20~30分続き、いよいよ販売する時がきます。モデルの付けている宝石、毛皮を見せに周ります。お客様はそのまま席で飲み物を飲みながら、各営業マンがお客様に合わせながら、宝石をテーブルにもっていき、交渉が始まります。

私達の毛皮も展示している所にお客様が来て、担当している営業マンと私達が、お客様に毛皮のコートの試着を次々として、クロージングして、サイズ直しなどの手続きをします。

300万、500万の毛皮が次々と売れていきます。テーブルの宝石もあちこち販売し、成立していました。札幌でも高収入の人々がお客様になっています。ビルを持っている人とか、社長夫人や、事業主がほとんどです。

バックヤードに行くと売り上げの報告が福社長の陣頭指揮をして、支持を出しています。現在の売り上げはいくらかと営業マンにはっぱをかけていました。

2日間で4回のローテーションを組みます。そして最後に歌謡ショーが始まり、割と有名人が歌っていました。

一回展示会で3時間くらいかけて宝石、毛皮、高級時計など販売します。昼組と夕方と大体一回の展示会で50人~70人のお客様を呼びます。お酒など進めて、ファションショーで何億円の高級品を見せて、数百万の商品が安く感じるようになります。

そして、最後に割と有名な歌手が30分くらいのショーをして終わります。すごいのはお客様が帰る時にほとんどのお客様の顔が笑顔で帰るので素晴らしい演出です。確かにお金は使いますが、顧客管理と思えば安いものです。バブルの時はこの様な経営者がいっぱいいました。展示会経費は展示会の10~15パーセント使うそうです。

そして、中にスーパー営業マンがいて、社長さんが紹介してくれました。40代の少しふくよかな女性で社長さんが言っていました。私より年収が多く、車も運転手付きの人で、かなりいいお客様を掴んでいると言いました。そのスーパー営業マンがお客様を毛皮のコーナーきて、500万円の毛皮を5分ぐらいで決まて、サイズ直しお願いと言って次のお客様に接客しにいきました。

後で彼女の年収は4000万円と言っていました。ちなみに社長さんの年収は3000万円と言っていました。社長さんの家は札幌市中央区の一等地で500坪の家で、春には桜の花見にみんな来るよと言っていました。この時期はトヨタのクラウンが200万もしなかったので今では大変な年収ですね!

2日間で売り上げ目標は3億と言っていました。私達にも一回展示会に行けば2000万から4000万円ぐらい毛皮の売り上げがありましたので、まあまあの展示会の売り上げがありましたが、もっといいのはこのやり方を少しのアレンジで使う事が出来ると確信して、販売会社にアタックしました。

ノウハウが会社の運命を変えました。

化粧品の訪問販売している会社、健康食品の訪問販売会社、地方の有名老舗宝石店、高級服や高級ファションを販売してる会社、お店など次々開拓し、展示販売しました。

展示販売する会社には、その前に勉強会もして展示所に動員するノウハウや販売する仕方など細かく教育して、望みました。

私はABC販売方法となずけて、販売会社とコラボして、大きな実績がドンドンが上がるようになりました。

やがて、2日で1億円の売り上げは普通になり、名古屋の訪問販売会社では、ついに2日間で3億円の売り上げを達成しました。その会社の社長はとても喜びました。そして毎年1度必ず展示販売することになり、この会社の社長ととても仲良くしていただきました。

この様にして、展示販売する事に力を入れて、販売する会社の開拓がスムーズに行くようになり、3年目で12億円の売り上げを達成しました。

4年目で26億、5年目に38億、そして6年目に50億円の売り上げを達成しました。信販会社も必死になって応援してくれて、ほとんど無審査で100万円ぐらいはとうしてくれました。

バブルが崩壊してから

この様に今では展示会している会社を知っていますが、100万円の商品を売るのに本当に苦労すると言っています。宝石商の友人も同じ様な事を言っています。

昔バブルの頃は1000万円の宝石の引き合い、つまり売り物を用意することが多かったが、今では数十万円の宝石の引き合いばかりです。とあきらめの顔をしていました。

過去と現在をもう一度ふりかえります。

この様にバブルの経済にドンドン入って行くようになりました。次に第2弾のバブルの事をかきます。

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masakitsuchie9990@gmail.com

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