起業、企業そして投資家になるための道

戦国時代の終わらせる一人の百姓みたいな出身の青年がいました。体も貧弱で見た目もよくない冴えない身なりをした青年がやがては豊臣秀吉となり天下を統一しました。

ここで彼の話をするのではなく、何もない青年がなぜ殿下と呼ばれる日本のトップになれたかほんのちょっとエキスを言いますと、やはり思いと願望、アイデアと実行力そして他の人と違う目の付けどこがちがいました。

いつもトップと交わる機会を作りトップの願いを実践していきました。この原理は今も同じです。

会社員は上司の願い知り実績を上げながら一段ずつのぼります。企業家のトップは消費者、社会に貢献しなくてはどんな企業でも一瞬で脱落していきます。

先ずは社会の仕組みを知り、人々の願いを分かると色んなアイデアが生まれてきます。

会社員の時も必死に働きノウハウを学びまた自分のアイデアを実践しました。最後に手掛けた宝石と毛皮の会社も中堅企業になりました。

良い人生はいい人と良い物の出会いがあります。

私も会社員をし33歳で独立し起業しました。最初は厳しい道を歩きました。しかしいつも求めているうちに2年後に遂に自分の活かせる企業と出会えました。

それは原宿に本社がある小さなアパレルメーカー、主にコートとライナーコート、毛皮コートを製造販売の会社でした。

完全独立の営業所を作りこれらの商品を全面的に販売しました。その会社の売り上げを1年目で2倍に2年目で3倍近くにしました。具体的には3億円から2年後に8億数千万円そしてついに自分の願う基盤作りができました。

起業、企業そして投資家の道

資本金が少しできました。独立した時は数百万円もなかなか用意できなかったがやっと数千万の資金がつくれるようになります、手持ちが増えると銀行も融資がスムーズな対応してくれます。

そこで2,3の事業を立上ようとしました。その時一番有効に見えたのが肉の自由化で食品業界が騒いでいましたので私も肉に関心を持っていましたので、ステーキハウスを経営する事にしました。

神田小川町の地下鉄出口の前で20坪30客席のフランチャイズのステーキハウステキサスと言うレストランを経営しました。投資額は3000万円を少しこえました。しかし売り上げはそこそこで300万円から400万円の間で推移しましたが思ったより原価、人件費、経費がかかり投資効率があまり良くなく1年でその店は売却しました。同じぐらいで売れましたので損耗なしでした。

次に手掛けたのがペンションの経営です。丁度ペンションのブームの真っただ中で富士五湖の山中湖に360坪の土地に2階建ての100坪の8部屋24名の全室バストイレ付きのプチホテルリンクスと名付け約1億円の投資をしました。ステーキハウスのノウハウがありましたのでステーキ専門の料理をだして喜ばれました。

ただペンションのの場合はじっくりとそこに住みオーナーが生活をしなくてはならないので私の場合は他の仕事もあるので半年してペンションを賃貸ペンションとして貸すことになり幸いに直ぐペンションをしたい人が見つかり一ヶ月40万円で借りていただきました。その借りたオーナーは頑張って山中湖の一番流行るペンションとして有名になりました。後にどうしてもこのペンションが欲しいと言われそのオーナーにペンションを売却しました。

そして1億円の自己資金が出来ました。資本家えの道

起業、企業経営のお手伝いします。気軽に相談してください。

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